【世界一周76日目】宗教って何で作られたんだろう。自分が感じたことを書いてみる【備忘録】
先日、ヴィパッサナー瞑想を終えました。
過去記事に詳細が書いてあるのでよければ見てください。
そこで瞑想についての歴史を聞いていたり、海外で旅行をしていると、
宗教について知りたくなってくる。
理由は簡単。
- 生活と宗教が密接につながっている
- 何より日本は宗教色が強くないから宗教を知ると新鮮で刺激的
今回の記事は、「宗教ってこうやって作られたんじゃね?」っていうことを自分なりに考えてみたので書いていきます。
宗教。それは・・・
経済、政治で人々ををコントロールするために作られたんじゃないかな?って話。
- 正しい道がわかる
宗教のいいところは、「これが正しい道」っていうのがわかることだと思う。
例えば仏教。
来世のために今、豪遊せずに質素倹約して過ごせば「極楽が待っているよ」
イスラームも同じような考え方。戒律を守れば、酒の湖なんかがあるところに死んだらいけちゃうよ。
この「来世」っていうがとても大切。
なぜなら現世は質素倹約したり、言うことを聞かせやすいから。
例えば、
雷が鳴る→子供はおへそを隠す→結果的に外へ出ない
みたいな。一つの常識を全体に伝えることができれば非常に楽なんですよね。
例えば仏教。
質素倹約することが大切。変な欲望を持たないことが大切。
とか言われている。それって単純に言うと、投資ができず、チャレンジができないってこと(と解釈。)
そしてカースト社会が広がっているインドでは、浮かばれない人がたくさん。
欲を持ってはいけないから、人々は現状維持を務めます。
上の人からすると、現状維持ってとっても楽なんですよね。変化に対応しなくて済むから。ましてはインドなんかは人がスーパーいる国。
欲望を持って、食事をたくさん食べて、やりたいことをやられたら一溜まりもない。
そういった混沌の状態を、一つの考え方にさせ、守らせる。
こうして政治?がやりやすくなって経済の状況がわかりやすくなる気がした。
だから宗教が大切なんだと。
宗教は人々を服従させるのにうってつけの「善」なのだと思いました。
人は武力だけでは人を動かすことができない。そこで考え方を植え付けていく。
その考え方が結果的に自分を救うと言うのだから従う
結果的に上に立つものが楽できる
こんな構造があるんだなと思いました。
宣教って経済とか政治とかに関してめちゃくちゃ大事なんだと。
現にインドのゴアはまだポルトガル色がつよく、クリスチャンもたくさんいます。
占領下時代の建物もたくさん。
この日のゴアでの観光は、
ヴァスコダガマがこの辺りにきたとか、
感慨深い1日となりました。
雑多になってしまいごめんないさい。備忘録として。